UPDATE : 2014/Feb/06
AUTHOR:
コトバノイエ 加藤 博久
vol.01
キックオフをこの本でと考えたのは、編集部の人たちとのミーティングの直後。
そのとき、頭の中では、彼らと話した70年代のことが駆け巡っていた。
used livingという場で本のことを語るなら、もう少しそれにふさわしい始まりがあると思うし、村上龍だったら、なんといっても『限りなく透明に近いブルー』のはずだけど、それでもあえてこの作品をオープニングに選んだのは、この「mado」という本のコラムは、「時代」というものに向かって開く「窓」なんだろうなという漠然とした予感が、そのセッションの中で芽生えてきたからだ。
だとすれば、この本を巡る旅の出発点は、やはり1969年だ。
今、この21世紀に生きているぼくたちの、さまざまな価値観の種子が播かれた年。
時代を通底する文化の源流があるところ。
そして、その1969年の日本をいちばんリアルに描いているのは、この小説じゃないかと思う。
□ 69 sixty nine | 村上龍 | 集英社 | 1987
― in the year 1969
「アダマは、1960年代の終わりに充ちていたある何かを信じていて、その何かに忠実だったのである。その何かを説明するのは難しい。その何かは僕達を自由にする。単一の価値観に縛られることから僕達を自由にするのだ。」
これがその時代に流れていた空気感。
村上龍で「69」だからアッチのことじゃないかと思ってしまうかもしれないけれど、そうではなく、1969年のある地方都市(佐世保)を舞台に、著者の分身である受験をひかえた高校3年生が巻き起こす「闘争と祭り」を綴ったグラフィティ、自らが「こんなに楽しい小説を書くことはこの先もうないだろうと思いながら書いた」と述べているようなポップ感にあふれた作品で、2004年には宮藤官九郎の脚本で映画にもなっている。
その中にこんな一文がある。
「北高を望む坂の下まで来ると、垂れ幕が見えた。
『想像力が権力を奪う』
感動した。自分達の力で、見慣れた風景を変えることができるのだと知った。」
この『想像力が権力を奪う』という言葉は、1968年「パリの五月革命」のときにカルチェラタンの路上に残された学生たちの落書きのひとつなんだけれど、それは世界中に吹き荒れた学生たちの「反乱」の導火線となったこの大きな騒乱の本質を見事に言いあてている。つまり、まずはイマジネーションを解放し、既成概念を捨ててしまえというメッセージだ。そして、そのメッセージが自分の高校の校舎の窓にかかっているのを見た主人公ケンのこの確信に、1969年という時代の高揚感がよく現れている。
1969年は、20世紀の折れ目だ。
その時にいくつだったかで、たぶんその後の way of life が天と地ほど違っているはずだ。
その年、
人類がはじめて月の海に足跡を残した
安田講堂が落城し、東大には入学生が一人もいなかった
ニューヨーク州ウッドストック、Max Yasgurさんの農場で40万人のLove & peace
コカインで大金をせしめ、マルディ・グラ目指したイージー・ライダーは、南部の百姓に撃たれた
ブッチとサンダンスのストップモーション
すぎかきすらのはっぱふみふみ
街の灯りがとてもキレイねヨコハマ、時には母のない子のようにだまって海をみつめていたい
ビートルズ最後のコンサートは、アップルの屋上だった
John & Yoko はジブラルタルで結婚式を挙げ、アムステルダムで Bed-In
ストーンズでもっとも HIPだったブライアンの溺死
オルタモントのフリーコンサートでは、Hells Angelsに黒人の若者が撲殺された
ロングアイランドのケミカル・バンクに人類史上初めてのATMが設置された
ジャック・ケルアックは飲んだくれて肝硬変で死んだ、享年47
ニクソンと佐藤栄作が沖縄非核返還に同意、72年には沖縄が日本になった
HIV エイズウイルス( imported from Haiti )がアメリカで初めて報告された
武豊誕生、「武邦彦の息子ではなく、父のことを『武豊の父』と言わせてみせます」
森高千里も同い年
バウハウスの創立者グロピウスが亡命先のアメリカで亡くなった
新宿西口広場でフォークゲリラたちが「友よ、夜明け前の」と唄った
バイク事故での休養の後ナッシュビルでカントリーアルバムを録音したボブ・ディラン
ナナハン・パルコ・ヤングOh!!Oh!!
広域重要指定108号事件の犯人永山則夫が逮捕され「無知の涙」を流す
コンピュータ・ネットワークの最初の通信がUCLAとスタンフォード研究所の間で交換された
インターネットの初めてのメッセージは「log win」
Led Zeppelin 登場
3月30日、パリの朝、フランシーヌ・ルコントは自らの身体に火を放った
全裸ミュージカル 「Hair」 on Broadway
まるでジェットコースターのように、何かが終わり、何かが始まったその一年。
結果的には、この年にピークをむかえた若者たちの反体制のムーブメントは、大人たちの体制(エスタブリッシュメント)を突き崩すことはできなかったわけだけれど、この60年代の学生運動と、ヒッピーと呼ばれる人たちのフラワームーブメントが造りだしたカウンター・カルチャー(「サブ」ではなく)の価値観は、ぼくたちが今生きているこの社会の底を流れている。
エコロジーもサステナビリティも自然主義も反原発もロックもインタ—ネットも、現代社会の良質な概念のほとんどのものが、この時代の若者たちの思想の上澄みにしかすぎないとさえ思う。
それにしても、これだけのことが同時に起こった年に17才だったなんて、ほとんど奇跡としか思えない。
そのとき高校生だった村上龍は、フェスティバルに熱狂し、東京に出て、『限りなく透明に近いブルー』や『コインロッカー・ベイビーズ』を書いた。おそらくその余韻は45年後の今も身体の奥底に残っているだろう。そしてそのときその熱狂をうらやましく眺めていた中学生だったぼくは、そのうらやましさをずっと引きずっている。
アダマが信じていた「何か」とは、ひとことでいえば「ROCK」だ。
1969年、ROCKは、単に音楽のジャンルではなく、atttude(個人が世界に立ち向かうときの姿勢)そのものだった。
この一連のムーブメントを、団塊世代の祝祭だったと「総括」することは簡単だけれど、そのコミットメントが積極的であれ消極的であれ、20歳やそこらでこんな激動を体験しているこの世代が手強いのはあたりまえだと思う。
無害でコンサバティブな今の大学生たちには、こんなこと想像もつかないだろうけど、いわゆる草食系とやらには、怖がってんじゃねえよ、と言っておきたい。
「うち、ブライアン・ジョーンズのチェンバロの音のごたる感じで、生きていきたかとよ。」
わかるだろうか、リアルタイムで体感した人からしか生まれない、天使からの贈りもののようなこの科白。
言葉の力。 ほんとうのことを伝えるためには、想像力が必要なんだ
ROCK !