UPDATE : 2014/Sep/09
AUTHOR:
コトバノイエ 加藤 博久
vol.08
いつも行く古書店の片隅で、一冊の詩集とめぐりあった。
どこにでもありそうな古ぼけた洋書のペーパーバックだけど、投げ捨てられたような本ばかりが溜まっている均一棚のなかで、その本は、砂浜でひっそりと隠れている貝殻のように、ぼくには見えた。
□ MEXICO CITY BLUES ( 242 CHORUSES ) | Jack Kerouac | Grove Press | 1955
ジャック・ケルアックが生前に遺した唯一の詩集らしい。
メキシコ・シティは、彼の作品「路上( On The Road )」最終の地。
主人公ディーンのモデルであるニール・キャサディとともに、盟友バロウズに会うためにその街を訪れたケルアックは、この詩集を3週間で一気に書き上げたという。
まず序文にやられる。
“NOTE” と題されたその文章は、こんな風だ。
I want to be considered a jazz poet
blowing a long blues in an afternoon jam
session on Sunday. I take 242 choruses ;
my ideas vary and sometimes roll from
chorus to chorus or from halfway through
a chorus to halfway into the next.
ぼくのことを日曜の午後のジャムセッションで、
長いブルースを吹きまくるジャズの詩人だと思ってほしいんだ。
ばくは242のコーラスを演奏するけれど、
ぼくの頭の中はバラバラで、時々あっちからこっちへ、
コーラスの途中から次のコーラスへ転がったりするからね。
そんな風に奔放にタイピングされたその「コーラス」たちは、パラパラと眺めているだけでも充分に愉しいものだったけれど、できればそのいかにもHIPな詩編の欠片でも自分の言葉にできないものか、なんていう遊び心がおきてきて、辞書を片手に真似事を始めてはみたものの、単語のひとつひとつはぜんぜん難しくないのに、文字どおりパーカーのアドリブのようなその即興的な言葉の奔流にまったく歯が立たなくて、けっきょくは池澤夏樹の翻訳に頼る羽目になってしまったのだった。
□ ジャック・ケルアック詩集 | 池澤夏樹/高橋雄一郎訳 | 思潮社 | 1991
せっかくだから、一篇だけでも。
コーラス 7**
存在と非在という気まぐれな概念に
惑わされない者
象の守護者
死によって
象使いを滅ぼし
死によって象を滅ぼし
死を滅ぼし
死を滅ぼし殲滅
する者。
存在と非在を殲滅する者
如来
本質を司る者
子宮
顕現者
人間に作られた本質
本質に作られた人間
光を作る者
光を滅ぼす者
*
“So I guess you could say we’re a Beat Generation. (1948)”
ジャック・ケルアック(1922-1969)は「ビート・ジェネレーション」という言葉をつくった人だ。
Youtubeで彼のインタヴューなんかを聞いていると、1920年代の “Lost Generation” を意識したとおぼしいが、”Beat” は語義どおり “Beaten(打ちのめされた)” でもあり、” Beatitude(至福)” でもあり、そしてなによりも Jazz の “Beat(彼の時代ならきっとBe-Bopに違いない)” への共感からでた言葉のようだ。
社会の低層で、さまざまな迫害を受けながら自由でスタイリッシュな音楽をプレイする黒人たちに、ハッピーでリッチなWASP的価値観(American Way of Life) にアメリカ史上はじめて NO ! と宣言し、豊かさからのドロップ・アウトという生き方を目指した白人の若者たちがシビれたのは、不思議でもなんでもない。
ただ「ジェネレーション」というのは、ケルアック独特の大風呂敷で、たぶん最初はムーブメントでもなんでもなく、ギンズバーグやスナイダーやバロウズ、そして「路上」のモデル、ニール・キャサディといった、サンフランシスコに集まった仲間たちの内輪での楽屋話のようなものだったはずで、それを堂々と「ジェネレーション」と言ってのけてしまうところが、アメリカの若者のいかにも野放図なところだろう(とっても素敵だけど)。
そして痛快なことに世界は、この生意気な若者のケレンに、まんまとノッてしまったわけだ。
いまこうやって、ケルアックの詩を眺めたり、ビートのことを調べたりしていると、60年代のロック・アーティストの作品の多くが、このムーブメントの影響を、強く受けていたことをあらためて感じさせられる。
なかでもディラン。
この本が出版されたころ18歳だったボブ・ディランが、ビート・ムーブメント、そのなかでもとりわけ文学的だったケルアックに影響を受けたことは、その書誌をみると一目瞭然だ。
The Subterraneans /1953
− Subterranean Homesick Blues /1965 ( Bringing It All Back Home )
Desolation Angels /1956
− Desolation Row /1965 ( Highway 61 Revisited )
Maggie Cassidy /1953
− Maggie’s Farm /1965 ( Bringing It All Back Home )
On The Road /1957
− On The Road Again /1965 ( Bringing It All Back Home )
細かなニュアンスはわからないけれど、この詩集を眺めていると、まるでディランの歌詞カードを読んでいるように気になってくる、というより、ディランにはこの詩集と同じバイブレーションを感じる、といったほうが正確か。1965年に発行されたディランの散文詩集 『tarantula』なんて、ヒッピーじゃなく、ビートニクの詩集ようだ。
アレン・ギンズバーグ 『吠える』
ウィリアム・バロウズ 『裸のランチ』
ジャック・ケルアック 『路上』
ちょっとだけ真面目なことを言っておくと、この3冊は、ビート・ジェネレーションの、そして20世紀の文学的遺産といってもいいんじゃないかと思う。
*
最後にテッド・ジョーンズという人の追悼詩を。
いろいろと読んだけど、ぼくはこのケルアックと同時代の黒人ビートの詩がいちばん心に残った。
俺にとってジャックは、前にも言ったが「俺は一人の男を知っている、白でも黒でもない男/そいつの名前はジャック・ケルアック」そんな奴だった。
ジャックが死んだとき、おれはハーレムにいた。その時『ヴィレッジ・ボイス』が何人かに追悼の詩を書いてくれって頼んだが誰も引き受けない、そうマクダラーから聞いて、俺がこの短いのを書いたんだ。赤と黒のレインコートを着て「狂ったカミソリの刃のように」アメリカを疾走した偉大な指導者—これが俺の本心だよ。
ぞくぞくさせる野性の魂**
— ジャック・ケルアックを偲んで
赤と黒のレインコートを着たジャック
北アメリカのあちこちの街角にたむろする浮浪者の中を駆け抜けて
着古したブルージーンと笑えるくらいのびきったセーターを纏ったジャック
剃刀の刃みたいに気が狂ったように国中を走り回り
ジョークをいっぱい詰め込んだよれよれのシャツとジャケットを羽織ったジャック
夜中にメキシコ・シティ・ブルースを歌うおなじみの天使
黒人のピップスターとミュージシャンの真っただ中で
カッコいいことに鵜の目鷹の目の白人たちに追いかけられて
詩心に生きるもの、詩をあたえるもの
いにしえに涙ぐむ青ざめた酋長
ひとつの世代の燃料だった
やすらかに やっと
JKはハローって言ってるさJCに
ジョン・コルトレーンにね、つまり
— テッド・ジョーンズ 10/22/1969 ハーレムにて
(拙訳)
そう、ケルアックが亡くなったのは、1969年。この ”mado” のいちばん最初に書いたけど、この年は、20世紀という時代の折れ目なんだ。
なんか詩が続いちゃったな。
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脚注1
「コーラス 7」原文
7th Chorus
He who is Free From Arbitrary Conceptions
of Being or Non-Being
The Genius of the Elephant
The Destroyer of Elephant-Trainers
by Death
The Destroyer of Elephant by Death
The Destroyer of Death
The Destroyer and Exterminator
of Death
Exterminator of Being and Non-Being
Tathagata
The Essence Master
The Womb
The Manifestor
Man’s Made Essence
Essence’s Made Man
The Marker of Light
The Destroyer of Light
脚注2
「ぞくぞくさせる野性の魂」原文
THE WILD SPIRIT OF KICKS
( in memory of Jack Kerouac)
Jack in red and black Mac
Rushing through derelict strewn street of North America
Jack in wellworn blue jeans and droopysweater of smiles
Running across the country like a razor blade gone mad
Jack in floppy shirt and jacket loaded with jokes
Ole angel midnight singing Mexico City Blues
In the midst of black hipsters and musicians
Followed by a white legion of cool kick seekers
Poetry livers and Poem givers
Pale faced chieftain tearing past
The fuel of a generation
At Rest At Last
JK says hello to JC
John Coltrane, That is
— Ted Joans
Oct.22 Harem 69