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暮らしを見直す。

UPDATE : 2013/Mar/27 | AUTHOR :

社会の変化に伴い、住環境や家族形態というものは柔軟に変化し続けてきたものの一つです。
そんななか、家族形態の変化の代名詞として使われるのが「核家族」という言葉です。この「核家族」というのは、最近の傾向のように思われがちですが、実は核家族と呼ばれる世帯形態は、ずいぶん前から存在しています。

 

「nuclear family(核家族)」という言葉が生まれたのは1947年のアメリカ。文化人類学者のG.P.マードック氏が考案したもので、1949年に氏が書いた「社会構造論」の中でも用いられています。
この言葉が「核家族」として日本の社会一般で普及し始めた明確な時期は定かではありませんが、1920(大正9)年、第一回の総務省の国勢調査によると、核家族世帯の割合は、既に全世帯数の半数を超えていました。
さらに、核家族世帯の割合がピークを迎えたのは1980年の60.3%で、その後現在に至るまで、核家族世帯の割合は減少傾向にあり、2010年に行われた最新の国勢調査によると、核家族世帯の割合は56.3%となっています。

 

減少傾向にあるにも関わらず、なぜ、ここまで核家族化が問題視され騒がれているのでしょうか?
それは、昔と今での、家族のあり方、生活圏の違いなどが大きく変化しているからです。

 

まず、第一回目の国勢調査が行われた1920年では、核家族とならざるを得ない背景がありました。
みなさんのご両親やご祖父母、さらに遡って、もっと上の世代では、4〜5人以上の兄弟も珍しくなかったのではないでしょうか?しかし、子どもが5人以上生まれても、親と同居できるは1組、もしくは2組の子ども夫婦だけで、他の子ども夫婦は結婚すると別世帯を構えるため、親と同居することができなかったのです。したがって、子どもの人数が多かった当時は、単純に一家族から生まれる核家族世帯の数が、今よりも多くなります。

 

加えて、今より日本人の平均寿命も短かったため、親と同居できる期間も短かったということも考えられます。
こういった背景から、核家族世帯の数が必然的に多くなる事情がありました。
したがって「核家族」と聞くと、一般的には戦後の高度経済成長期の頃に、都市部への人口集中により生まれたと思われがちですが、実は核家族世帯は、戦前からも半数以上の割合を占める家族形態なのです。

 

これだけ見ていると、減少傾向にある核家族化について、騒ぐほどの心配はないような印象を受けますが、この表面的な数字に惑わされてはいけません。

 

というのも、核家族世帯の割合のピークは1980年と先述しましたが、実数では、核家族世帯は増加の傾向にあります。この現象の要因の一つとなるのが、単独世帯数の増加です。
1960年、日本の一家族の平均人数が4.14人であったのに対し、2010年には2.42人と減少し、さらに都市部だけ見てみると2人を下回るのです。

 

さらに、昔と今の核家族世帯の大きな違いとして、親との同居が叶わなかった子ども夫婦が別世帯を近隣に構えるのに対し、現在は、親元を離れて都市に移り、新たに世帯を構える核家族が増えているということです。
したがって、現在の核家族世帯というのは、近隣に血縁者が存在しない孤立した核家族である場合が多いのです。

 

こうした核家族化・都市化の進展により、かつては、自分の親兄妹や、何世代にも渡り関わりを持った近隣住民との付き合いなどから得られていた、生活の知恵や支援が得られにくくなっているのです。こういった背景から、現代の核家族は家庭の養育力の低下や、地域内での助け合いの低下など、生活の孤立や社会からの孤立といった、新たな課題を抱えているのです。

 

都会に暮らすことは、夜中でも明るくて、24時間営業のお店も多く便利な一面もあります。だから、日常生活において、不便を感じることはほとんどありません。
けれど、その「便利さ」や「安心」という本質を、見つめ直す時期にいるのかもしれません。

 

そして、この都会に蔓延る「便利さ」や「安心」に、最も多くの人が不安や疑問を抱いたのが、先日発生から丸2年が経った東日本大震災のときではなかったでしょうか?
全ての交通機関が麻痺する中、幸運にも、わたしは被災した場所から実家が徒歩数分でしたので、すぐに実家に戻ることができました。当日は、都内で働く叔母も加え、両親と叔母の4人で余震の続く不安な一夜を過ごしたことを覚えています。

 

それから一ヶ月近くは、関東地方では局地的な飲料水の不足や計画停電、交通規制など、普段よりも、ずっと不便な生活を余儀なくされました。それでも、誰かと一緒に過ごすことの安心感や、助け合い支え合うことでの心の繋がり、さらに、制約のある生活のなかでの工夫した暮らしは、これまでの日常生活よりも、「生きている」という実感と、人との繋がりを強く感じ、大切に思える時間ではなかったでしょうか?

 

多様性の時代と言われている現代。世の中で提供されるサービスや技術も、進化の一歩を辿り、痒いところに手が届くものばかりです。
多様化するニーズに答えてくれる社会というのは、とても安心でとても便利です。ただ、それが何のために生まれたのか。

 

わたしが敬愛する漫画家、手塚治虫さんの公式サイトには、とても大切なメッセージがたくさんあります。
そのひとつを、ここでご紹介します。

 

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ラスト・チャンス

 

ぼくらは欲望のままに物質の豊かさを求めて、わき目もふらずに突っ走ってきましたが、いまがここらで立ち止まり回りを見回す最後のチャンスではないかと思います。 (『ガラスの地球を救え』より)

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最先端の科学を手にする、ということは「力」を手にする、ということです。 そして人以上の「力」を手にした時、そこに「慢心」が生まれ、「人より強い=人より偉い」という間違った考えに支配されがちです。 力を支配するために使うのではなく、弱い者を支えるために使おうとする「心」の発展が進んだら、その時、科学の発展を本当の意味での「進歩」と言えるようになるのかもしれません。

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わたしたちは、今不便に感じることや面倒に思うことを、その根本的な原因を蔑ろにして、表面的な解決策ばかりを求めがちです。
どんな時代においても、人類というものは素晴らしい叡智を授かった生物として、進化し続けています。
しかし、わたしたちが授かった叡智というものは、今ある人類の「快適さ」や「便利さ」のためだけに用いるのでなく、これからわたしたちが守り育てなければならない次の世代、さらにその次の世代の人類のために駆使していくことを忘れてはいけないのでしょう。

 

(出典 TezukaOsamu.net(JP) 手塚治虫 公式サイト「手塚治虫のメッセージ 科学(1)」より)

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