INTERVIEW

SATOE MORIYA|INTERVIEW vol.20

UPDATE : 2015/May/09 | AUTHOR :

幸せを運ぶ、淡く まるく 美しい味
場所は北千里。
緑も豊かな閑静な住宅街の中に一軒、店舗を構えず20年続く、焼きたての天然酵母パンを届ける配達専門のパン工房がある。
たった一人でひたむきに作り続けてきた職人の思いと、パンのあるシーンを通して見つめる理想の生き方とは。
美しい庭を臨む工房にて、穂[ippo]の守屋里依氏にお話をうかがった。

 

────── まず、守屋さんのこれまでの生い立ちを簡単で構いませんので教えていただけますか?

 

守屋:神戸に生まれて、父の仕事で京都に行って、その後は愛媛の松山に行ったんです。だいたい3年間くらい愛媛にはいたんですけど、その間私が7歳くらいの時に病気をしてしまってね。その時は、田舎のお医者さんでは治療ができないって言われて、次は大阪に越してくるんです。結局大阪の病院で入院することになったんですけど…そこでね、誤診をされるんです(笑) 本当は体をしっかり動かしたりしていないといけなかったのに、ずっと寝ていないとダメっていう真逆の診断でね。それで途中で父が、「いや、これはちょっとおかしい」と思って、夜逃げのように病院を移ったんですよ。

 

 

────── え?抜け出した、という感じだったんですか?

 

守屋:そんな感じです。夜に外泊するような感じでそのまま抜け出してね。その後新しい別の病院に行ったら違う病名を言われたんですけど。その頃は誤診のせいもあって、体を動かすことが難しくなってしまってたんです。その時、ちょうど父が仕事でアメリカに行く機会があったんですけど、私も退院させて一緒に連れて行くことにしたんです。日本で寝てても、アメリカで寝てても一緒なので。でもやっぱり病院には猛反対されて、また夜逃げのように…(笑)

 

 

────── 7歳というとかなり幼い頃ですね。今でも鮮明に覚えているのですか?

 

守屋:最初のは覚えていないんですけど、2度目はアメリカに行くので覚えてます。車椅子に乗って、そのまま飛行機に乗りました。もちろん家族はアメリカでも入院するだろうと思ってますよね。でも向こうの病院では、そんな必要ないって言われたんですよ。治療方法も日本とは全く違ったんですけど、結局たった半年で歩けるようになってね。

 

 

────── 何を信じていいのか分からなくなりそうですね。

 

守屋:本当にそうですね(笑) 車椅子で海を渡って、歩いて帰って来たんですもんね。ある意味、私にとってアメリカは、ちょっとしたアメリカンドリームみたいな感じです。日本に戻ってきて新しい病院に移ってからも、アメリカの病院がくださったカルテや診断書の内容に沿って治療を続けてもらったんです。それから2度再発したこともあったんですけど、またアメリカに行ったら治るんですよね。不思議ですよね、同じ治療を受けてるのに。それからは帰国子女として高校に入って、大学はアメリカに行きました。

 

 

────── そんなことがあったんですね。守屋さんに病気の影が全く見えないので、正直驚きました。

 

守屋:見えないでしょ(笑)? アメリカにいたのは20歳の時までだったんですけど、ちょうど在学中に、父が手術をするっていう連絡を受けたんです。虫の知らせですかね?その時、何故だか普通の手術じゃないような気がして、冬休み期間中に帰国することにしたんです。それからしばらくして父は亡くなってしまったんですよね。それで私も、このまま大学に通い続けるのはあまりにも母に負担をかけてしまうと思って、大学をやめて。で、翌年には子供を産んでますからね(笑)

 

 

────── え!?

 

SATOE MORIYA|INTERVIEW vol.19

 

守屋:生き急いでるでしょ(笑)

 

 

────── 展開が目紛しいですね。日本での生活とアメリカの生活と、様々経験されてきて現在はパン職人として活動されていますが、例えば今でも印象に残る子供の頃の食卓の風景などはありますか?

 

守屋:あぁ…ありますね。一番私の中にずっと残ってるのは「お茶の時間」ですね。父はお茶が好きだったし、お茶の研究もしていたので、とにかく小さい頃からお茶の時間がありました。食事が終わったらみんなで飲んだり、休日の15時にはお茶の時間があったり。

 

 

────── 私の幼少期と比べちゃいけないんですが、オシャレですね。

 

守屋:それと「花」かなぁ。早くに亡くなってしまったので美化してるところもあるかも知れないんですけど、本当に父が好きだったので、父が好きだったものを今でもずっと覚えています。ずっと、覚えていて、私の暮らしに根付いています。庭で過ごすこともそうなんですけど、お茶と花を活けることを絶やさない人だったので。

 

SATOE MORIYA|INTERVIEW vol.19

 

────── では小さい頃からパンは身近なものでしたか?

 

守屋:今思えば朝食はパンでしたけど…。父は典型的な夜型の物書きだったので朝はたいてい寝ていたんです。だからみんな揃って朝食を囲むのは旅行の時くらいだったんですけど、特に思い入れは全くなかったです。パン屋を始めようとする時もそうだったし、今でも有名なパン屋さんをあまり知らないんですよね。

 

 

────── ippoとして始められる前は何をされていたんですか?

 

守屋:英会話を教えていました。21歳で結婚して、出産もして、そこから26歳までやってましたね。その途中でパンを焼くようになったんです。

 

 

────── 英会話教室からパン屋さんに転向した理由は何だったのですか?

 

守屋:私の場合、帰国子女で英語が話せるから教えていたのであって、教えるスキルを身に付けていた訳ではなかったんです。子供達とゲームを交えて楽しく教えることはできたんですけど、徐々に限界を感じるようになってきたこともあって。そんな時に特別意識する訳でもなく、女の子がお菓子を作ってみようと思うような感覚で、パンの本を1冊書店で買ってみたんです。それはドライイーストで作るパンの本だったんですけど、1種類ずつ焼いてみると結構簡単に作ることができて、朝食にそのパンを食べるようになったんです。

 

 

────── 自分で焼いたパンで朝食を…。やっぱりオシャレですね。

 

守屋:そうですか(笑)? それももう20年以上前になるんですけど、最初の1冊に載ってるパンを全て焼き終えて、次の本を買いに行ったんです。当時は天然酵母のパンの本って1冊しかなかったんですよ。しかも地味で、写真さえも美味しそうに載ってないようなね。でも「天然酵母パン」っていう言葉も初めて聞いたし、興味が湧いてきて。それでその本を買ってきて読んでみると、これがすごくアバウトな説明で具体的に書いてなくってね。

 

だから始めは失敗ばかりしてたけど、繰り返し焼くうちにだんだん上手くいくようになってきて。その頃はもうパンを焼くことが楽しくて仕方がなかったです。普通だったらそこから習いに行くとか、パン屋さんで働くとか、そんな発想になると思うんですけど、子供もまだ小さかったし、色んな事情もあってそれが難しくてね。じゃぁもうこのままやってしまおうと思って、知り合いにモニターになってもらえるように頼んだんです。

 

そうして週に1度パンを届けるようになったんですけど、その方が、感想は勿論言うけどタダでもらうのは嫌だっておっしゃってね。本当だったら私が払わないといけないくらいなのに。それからその方のご近所さん、またその友達っていうふうに、結局は週に何軒かお届けするようになっていったんです。

 

SATOE MORIYA|INTERVIEW vol.19

 

SATOE MORIYA|INTERVIEW vol.19

 

────── 小さなきっかけから口コミで広がっていったんですね。

 

守屋:そんな時にたまたま、テレビでベトナムのパン屋さんの映像が映ってたのを見ることがあったんです。ベトナムって元はフランス領だったんで、バケットを食べる習慣が残ってるんですよね。玄関に細長い袋が掛けてあるんですけど、パン屋さんの男の子がその袋の中に、背中に背負ったバケットをポンポン配達していくんですよ。朝の新聞配達みたいですよね。それを見た時に「あ、これや!」って思って、朝に配達する天然酵母のパン屋をしようと思ったのと…。

 

ある1冊の本を読んだこともきっかけになってるんです。ある天然酵母のパン屋さんが、どんな道のりで現在のお店までに成長したのかっていう内容なんですけどね。昔って、天然酵母のパンは酸っぱいとか、硬いとか言われてなかなか認知されていなかったんですよね。そのせいでお店を始めた頃は毎日売れ残って、毎晩そのパンを食べていたって、その本には書かれていたんです。

 

それを読んだ時に、私がもしパン屋をするなら、パン屋としてそれだけは嫌だって思って。廃棄も嫌だけど、売れ残ったパンを自分たちが美味しくないと思いながら毎日食べるのは一番嫌だって。だから始めからお店を構えないでやっていこうと思っていた訳じゃなくて、とにかく売れ残らないパンの売り方にしようと思ったんです。少ししか売れなくても毎回売り切る量でね。それでようやく、じゃあ予約してくださった人だけに届ける今のスタイルになったんです。

 

 

────── ずっと、何故配達専門なのかと思っていたんですが、そんな理由があったんですね。でも今だったら、もしお店を構えていたとしてもスグに売り切れてしまうんじゃないですか?

 

守屋:いや、それは難しんじゃないですか?でもまぁ、小心者だったのもあると思います(笑) それに続けていくうちに、これが自分にとって一番良いスタイルかな?って思いだしてね。当時はHPなんていうものもそんなになかったから口コミだけだったけど、今じゃネット上で販売することもごく普通なので助かってますよ。

 

 

────── パン屋さんを初めて20年くらいになるとうかがっています。

 

守屋:許可を取って20年になりますね。その前は昼間は英語を教えて、少ないながらも注文してくださったお客さんにパンを朝届けて。ただ、私が26歳の時にまた病気を再発したんです。っていうのも、以前からお医者さんに、出産をすると悪くなるって言われてたんですよね。その時は手術をしないといけなかったので、半年間入院してリハビリをして。その半年間の間に今の工房を改装して、もうパン屋一本でいくことにしたんです。

 

 

 

────── 止まってる暇がありませんね。これまでずっと大忙しじゃないですか。

 

守屋:人生がでしょ(笑)? 今はこの通り元気ですけど、早死にしないようにしないと(笑)

 

SATOE MORIYA|INTERVIEW vol.19

 

────── これまでずっとパン作りに向き合われていると、「食べること」に対する考え方や感じ方にも変化があったのではと思うのですがいかがですか?あくまで私の場合ですが、衣食住の「食」を考えた時にまず頭に浮かぶのが、子供の頃の食卓であったり、一緒に食卓を囲んだ家族の風景だったりしました。掘り下げていくと、そんな自分の中にある家族との思い出の場面が、暮らしに欠かせない食とまず結びついた、というよりそこに帰ったという感じでした。そこでうかがいたいのですが、守屋さんにとっての「家族観」とはどのようなものですか?また「食」との関係なども教えていただけますか?

 

守屋:家族がどうあるべきかとか、理想の形ですよね。素敵な回答を期待していたら本当に申し訳ないし、今でもそれがどうなのかずっと問い続けてるけど、私はないですね。私は本当に凄く良い両親に愛情を疑うことなく育てられたけど、そのありがたみが分かってないっていうことかも知れないですね。家族の形っていうものにあまりこだわりがないんです。あんなに温かな家庭に育ったのに、私がそれと同じくらい素晴らしい家庭を築けたとも言えませんしね。

 

 

────── なるほど。私もこのような質問をしておきながら、じゃぁ自分のそれは何だと聞かれると、正直なところ明確には答えられないんですけどね。

 

SATOE MORIYA|INTERVIEW vol.19

 

守屋:それともう1つは…、性格も出ないと思うんです。例えばね、私が作ったものを誰かが食べた時に「里依さんらしいやさしい味がする」って、そんなふうによく言われるんです。私が何を作っても、良くも悪くも「やさしい」ってね。でもそれは多分「ippoらしい味」がするっていうことだと思うんです。だって私自身が形容される時に「やさしい」なんて一度も言われたことないし、私もそう思うし(笑)

 

周りにもものを作る人がたくさんいるけど、冷たい人が凄く温かなものを作る人だっているしね。同じものを作ったとしても、作り手によって違ったものが生まれることだってあるし、じゃあ何故そうなるのかって考えてみると、私はきっとその時の精神状態がはっきり現れてるんじゃないかな?って、経験上思うようになりました。私自身すごくイライラしてるような酷い状態で作ると、味も酷くなるってつくづく思うし。

 

だからどんなにプライベートで大喧嘩して目を泣き腫らせてたりしても、エプロンを絞めて工房に入る時は、やさしいパンを焼ける精神状態に切り替えないといけないし、そうできてるんだと思ってました。でもよく考えたら私はそんなに器用じゃないから、きっと逆にパンを焼くことが私をそうさせてくれてるんだと思います。実際に、普通ではパンなんて作ってられないような気分の時でも、いざやり始めると穏やかになってきますしね。

 

 

────── 私がもしそんな気分になったとしても、もとのフラットな状態に戻すには日にち薬くらいしかなさそうです。でも何故パンを焼くことがそうさせるのだと思いますか?

 

守屋:何ででしょうね。でもパンじゃなくても、手段は何でも良かったかも知れない。よく若い人に、好きなことを仕事にしてていいなぁって言われることがあるけど、私の場合はそうじゃなくて、得意なことを仕事にしてるだけですからね。得意なことって認められるでしょ?「美味しい」とか「幸せな心地になる」とか、そんなふうに言ってもらえるから好きになったって感じかな。だから、たまたまパンであっただけだと思う。それでも、やっぱり精神的に落ち着いたのは10年前からパン屋とパン教室の2本柱にするようになってからかな。

 

SATOE MORIYA|INTERVIEW vol.19

 

────── 始めは教室はされていなかったんですね。

 

守屋:月・水・金・土曜日に焼いていたので完全に休みなしだし、焼く前日から仕込むので、金土曜日は2日寝ない感じでしたね。

 

 

────── パン屋さんというと朝とても早い時間からお仕事されているイメージですが、守屋さんは朝何時頃から焼き始めるのですか?

 

守屋:3時くらいかな。

 

 

────── 大変そうですが…朝はとても静かで気持ちが良さそうですね。

 

守屋:本当に静か。いいよ~…だってね、朝が出来上がる寸前の時間に働いてるのって、自分でもちょっとシビレるよ(笑) それに人が寝静まってる時間に働くことに、昔から憧れがあったかな。前日の夕方に仕込んで発酵させてただただ待つ、それで朝起きて焼き始めるんです。

 

 

────── 私は体力的にも絶対続きそうにありませんが、一度体験してみたいです。まだ夜のうちから焼き出して、焼き上がったその朝に直接配達される他、あとは全国配送もしてらっしゃるんですよね。

 

守屋:お届け先によって、私が直接行ける範囲は行かせてもらっています。朝は車も少ないし気持ち良いですよ。それ以外の地域も近畿2府4県は即日便で当日のお届けもできますしね。

 

 

────── 私が初めてippoのパンを食べたのも、守屋さんにお会いしたのも偶然のきっかけだったんですが、あの日がとても印象的でした。パンの袋を開けた時のあの香りが、朝に恋しくなることもあるのですが、製法・素材・その他色々なこだわりを持たれているんだと思います。今のこだわりにたどり着いた経緯はどのようなものですか?

 

SATOE MORIYA|INTERVIEW vol.19

 

守屋:でもね、味を追求している方だったら、例えば小麦から栽培したりだとか、私よりももっとちゃんとこだわってるパン屋さんはいっぱいいると思うんです。けど私の基準は、もう今は「美味しいと感じるかどうか」だけです。食べものは人の体を作るから、安心・安全であった方が良いに決まってるし、うちのパンを食べてくださる方もそれを求めてらっしゃるからこれまでのやり方を変えるつもりはないけど、私がしたいのはそういうことに縛られることではないんです。

 

大事なのは「美味しいものが幸せな気持ちにさせる」っていうことなんだって、そう感じさせられる経験があったからなんですけどね。その時からもうこだわらなくなりました。とは言っても結局は、農薬なんかも使わずにきちんと丁寧に作られたものが口に入れた時に美味しいって感じさせるんですけどね。ただ私の中ではそれよりも、食べ物でも他のものでも、自分自身が「美しい」と感じる感覚を信じるし、曇らせないようにすることがこだわりと言えばこだわりです。

 

 

────── 『縛られることではなく、美味しいと感じるかどうか』。体に悪いものもよく口にする私が言うのも変ですが、私自身もそう思っていて少しホッとしてしまいました。

 

SATOE MORIYA|INTERVIEW vol.19

 

守屋:それに、そういう人の方が好き(笑) 絶対こうじゃないとダメ!っていうふうにギスギスしてしまったら生きにくいし、それこそ精神的に健康じゃないからね。…って、こんなふうに考えるようになったきっかけが、息子だったんですよね。

 

病気をした時に通る道の1つだと思うけど、出産後にまた体を悪くして26歳で手術をするまでの間に一度、自然療法だけで治してみようと思ったことがあったんです。マクロビだとか玄米正食を厳しく取り入れてみようと思ってね。それには、実際私も勉強になったんですけど、ある表があるんです。例えば季節に合わせてこんなものを食べた方が良いだとか、絶対食べてはいけないものにはドクロマークが付いてたりするんですね。その表を元にうちの家が急に玄米正食に切り替わったもんだから、息子は仕方無くそれを食べますよね。お砂糖はダメ、ジュースやアイスクリーム、お肉も食べられないとか。でも結局それでは治らなくて、京都にある西洋医学の病院に入院して手術を受けたんです。

 

その手術の後、病院の近くに今でもある鴨川近くのカフェにお茶をしに、車椅子を押してもらいながら家族3人で行ったんです。そしたら、横に座ってる人がチョコレートパフェを食べてたんです。それを息子がね、もう本当によだれ垂れてるんじゃないかって思うくらいじーっ…と見てて…。「食べたい?」って聞くと、小さな声で「食べたい…」って。「いいよ」って言ったら、「え!?本当にいいの!?」みたいな顔してね(笑) その食べてる時の顔がもう…涙が出るくらい幸せそうな顔しててね。その時に、こんな幸せそうに食べてるお砂糖がドクロマークな訳がない!って思って。

 

今でも炭水化物がどうとか言われるけど、食べるものって、さっきも言った作る時の精神状態みたいなものと同じなんじゃないかなと思って。あの時息子が食べたお砂糖は絶対体に良いもの、少なくとも精神的には良い。それを見てもうやめようと思いました。これがダメ、これは体に悪いから食べてはいけない、そんな基準で食事をするのはやめようと思ったのは、その時からですね。

 

 

────── 素材へのこだわりは素晴らしいものだと思うのですが、それを厳しく実践される人の中には、本当はどこか窮屈なんじゃないのかな?と感じることもありました。

 

守屋:厳しく制限して、一人であれはダメ、これもダメって思いながら寂しく食べるより、みんなでワイワイ楽しくお鍋でもして食べる行為の方が絶対体に良いと私は思うんですけどね。シワシワのおばぁちゃんが吸い殻みたいなタバコを爪楊枝に刺して美味しそうに吸ってる姿を見て、「タバコ体に悪いよ」なんて誰も言えないでしょ(笑) 精神と肉体は繋がってますからね。

 

 

────── 初めて食べた時もそうでしたね。集まったみんなでippoのパンを囲んでワイワイしていて。ただ1つ思ったのがこの「やさしい味」で、私も何と表現するのが一番なのか分からないんですが、何となくもっとピッタリな雰囲気の言葉があるんじゃないかな?と思ったんです。

 

守屋:正直「やさしい」って、私にとっての褒め言葉ではないんですけどね(笑)

1つね、その言葉が当てはまるかどうかは分からないけど、最近知った言葉で“淡”っていうのがあってね。それは精進料理を体系づけた道元禅師っていう禅のお坊さんが書いた“典座教訓”っていう教典に書かれている言葉なんです。苦い・酸い・甘い・辛い・しおからいの五味に加えてもう1つ“淡い”。それは単に味が薄いっていう訳じゃなくて、五味の概念にもう1つ加えた、ある種のシックスセンスと言うか。

 

私はそれを、食べた時の味と言うよりも、食べ終わった後の余韻みたいなものかな?って捉えたんです。また食べたいなぁって急に思いだしたり、美味しいって言うよりも何だか幸せだったなぁとか、そんな後を引く味かな。それはきっとまた感じたくなると思うんです。私の作ったもので、そんな淡く残るような余韻を感じてもらえると嬉しいんですけどね。

 

 

 

────── “淡い”ですか。初めて聞きました。思い返してみると、そんな淡い味の思い出が蘇ってきそうな気がします。こんなお話をしているとまた食べたくなってきましたね、ippoの丸いパン。そういえば、ippoと言えば「丸いパン」なんですよね?でもこの丸い形にこだわってる訳ではないと、初めてお話をした時にうかがったのを思いだしました。

 

SATOE MORIYA|INTERVIEW vol.19

 

守屋:後から思えばこだわりかもしれないけど、私、あんまりこだわりっていう言葉が好きじゃなくてね。…って、それもこだわりだから変な話だけど。多分ね、パンの生地を丸める時の手の動きというか、所作がすごく好きなんだと思う。初めて作ったパンも丸いパンでした。でもずっと修行してきた訳じゃないから、色んなパンを作れた上で丸いパンを作ってたんじゃないんです。昔よく「食パンないの?」って言われることもあったんですけど、その為にまた1から覚えないといけないから、お客さんには作ってないんですって言っててね。それで終いには、食パンのないパン屋さんでもいいか、丸いパンしかないパン屋さんもいいか、って思い始めてね。

 

 

────── 教室の風景も今日拝見させていただきましたが、やさしく数回撫でるような手の動きで、あのコロンとした丸い形に成型されるんですね。生地の触り心地を想像してしまいました。とっても気持ち良さそうで…

 

守屋:うん。なんかね…そんな気がする。教室では色んな型を使ったものも作ってもらうけど、基本的には丸くすることが一番難しいんです。最初は丸めようと思っても、生地の下の方からどんどん硬くなってきてしまって上だけ伸びたパンになってしまうんです。上手に数回で丸められるようになったら、本当に美味しいパンになるんですよ。

 

SATOE MORIYA|INTERVIEW vol.19

 

SATOE MORIYA|INTERVIEW vol.19

 

────── 見ているととても簡単そうなのに、実際は難しいんだろうなぁ…と、見とれてしまいました。

 

守屋:そう見えるでしょ(笑) これが難しくてね。うちの教室が始まった10年前から今も通ってくださる生徒さんもいるんですけど、そんなずっとパンを作ってる方に急にシンプルな丸いパンを作ってもらうと、意外ともう上手くできるようになってたりしてね。昔は何回も何回も、本当に苦労したのに。生徒さんの中には、他にもいくつも教室に通ってる方や、他のパン教室の先生が来られることもあるんですけど、とっても上手に作られるんです。そうすると、やっぱりプロ本来のやり方っていうものがあるんですよね。でも私は、人にパン作りを教えてもらったことがないので我流なんです。それでもやっぱり私のパンは、私のやり方でやると一番完成するんじゃないかなって思いますね。

 

 

────── 教室の風景を見ていて1つ印象的だったのが、、手作りというのは勿論のことなのですが、「育てる」といったニュアンスが近いのかな?ということでした。四季の変化をパン作りで感じられるのなら素敵だなぁと思ったのですが、例えば今の時期、春が来る気配をパン作りの何で感じますか?

 

 

守屋:発酵の早さですね。冬から春に移る中である1日がぐんと暖かくなると、いつもは2時に起きて3時から焼き始めるのが、2時の時点で発酵が終了してるのですぐに焼き始めます。そんな変化のある1日がその日からの基準になるから、たった1日で感じるんです。どんどんあたたかくなると発酵にかかる時間も短くなっていって、次の季節のバージョンに切り替えないとって思ったり。梅雨が近づくと置いてる小麦粉が水を吸うので、いつもと同じ分量でするとやわらくなり過ぎたりするんですけど、そこで梅雨がもう直ぐそこに来てることを感じたり。

 

 

────── 素材が教えてくれるんですね。

 

守屋:そうですね。春や秋は穏やかな気候だから発酵も穏やかなので、あまり手間はかからないけど、冬や夏みたいな尖った季節は難しいです。寒くなってくると起きても全然発酵が進んでなくて部屋の温度を上げたり…それはもう日々ですね。これまでの20年を全てノートに記録しているので、そんな節目に去年の同時期をチェックしてみたり。

 

SATOE MORIYA|INTERVIEW vol.19

 

SATOE MORIYA|INTERVIEW vol.19

 

────── 常に季節や気候の変化を感じながらのお仕事なんですね。そんな守屋さんにもう1つうかがいたいことがあります。それは「仕事観」についてなのですが、それはどのようなものですか?私の知る限りでは、配達専門でこれほど長く続けてらっしゃる方は他にいなくて、やっぱり素直にすごいなぁと思うのですが…

 

守屋:それはね、やめないっていうことですけどね(笑) やっぱり山あり谷ありで、食べていけないんじゃないかっていう時もあるし、精神的にできないようなプライベート期間もあるけど、とにかくやめないこと。たとえ注文がたった1人でもね。

 

それでも一度だけやめようというか、疲れてやめたくなった春がありました。どちらにしてもパン作りをする上で夏はとても大変で、それに暑い日にパンを食べる人自体も少なくなるので、8月の1ヶ月間を夏休みとして休ませてもらって、8月が終わる頃にもう一度パンを焼きたいと思わなかったら、その時はもうやめようと思ったことがあったんです。じゃあもうね、この8月が楽しくて楽しくって…(笑) 多分ね、いつも段取りをする暮らしだし、ほとんどの仕事が準備なので、朝起きて何もしなくて良かったり、何も考えなくていいのが楽しかったんです。夏休みの半分があっという間に過ぎた頃に、そろそろどうしょうかなって思ったけど、まだ全然やりたくなかった。

 

でも残り1週間に迫った時にちょっと焼いてみたくなったんです。パン種は置いてあるし、そこでようやく久し振りに焼いてみたんですけど、これがまた楽しかったんですよね。でもそれって自家用な訳で、そう思うと楽しくなくて。自分の為にお菓子を焼くことが好きな人や、自分の為にお料理をして美味しく食べる人って普通にたくさんいらっしゃると思うけど、私はそれではないんだなって思いました。作って、売れて、食べてもらって完結するんだって。

 

 

────── 買ってもらうという行為がポイントになっているんですね。

 

SATOE MORIYA|INTERVIEW vol.19

 

守屋:お金を出して買う行為って、それがいくらであっても最高の賛辞であって、認められるっていうことでしょ?美味しいっていくら言われても買うまでのものではなかったり、絵でも家具でも作品でも何でもそうだけど、お金を払うって凄いことだと私は思ってるから。パンなんて安いものだけど、それでももの凄い数のパン屋さんがあって、絶対もっと美味しいお店もあるのに私が作ったものを買ってくれるんですよ。お客さんの中にはもう何年も何年も朝にお届けしてる方もいるけど、顔を一度も見たことがない人もいます。

 

美味しいのかどうか直接聞くことができなくても、この買い続けてくれる年月が何よりの答えですよね。作ったものが売れないと完結しないのであれば、やっぱり続けようって思います。はっきりとそう分かったのが、今の教室を始める前だったんですけど、体力的なこともあるし、それに元々教えることも好きだったので、それじゃあ両方やってしまえばもうやめたくならないかな、と思ってね。

 

だから仕事観は?って聞かれると、ずっと子供を養う為であって、仕事は何でも良かった。じゃなかったら大変過ぎてやめてたかも知れないですね。そういえば…息子がまだ小学生になったばかりの頃に、「家訓」って何?ていう話になったことがあったんです。そしたらうちの子、まだ小さいのに「働かざるもの喰うべからず」って言ってたもん(笑) もう背中見せ過ぎでしょ(笑)

 

 

────── お母さんの働く姿が焼き付いてるんですね(笑) お話をうかがっていると守屋さんのパンは、どこか“作品”に近いものがあるのかなぁ?とも感じてくるのですが。

 

守屋:でもね、昔ある芸術家の方に言われた一言で、やっぱり店舗を持つスタイルじゃないなと思ったのが「自分の作品を並べるような気持ちで店を持てばいいんじゃない?」って、そう言われた時でしたね。だって、パンを作品だと思ったことはないから。私にとってのパンは自己表現する作品ではなく、気軽に食べてもらえれば嬉しい。笑顔になってもらえれば、なお嬉しいです。でもきっと、私自身が凄い好奇心と何かをやりたい気持ちを常に持ってるので、そろそろサロン的なことを初めてみたいなぁと思ったのが去年ですね。

 

 

────── サロンのippo plusでは今後どのようなことをやっていこうとお考えですか?

 

SATOE MORIYA|INTERVIEW vol.19

 

守屋:今までパン屋の守屋としてやってきたので、何かイベントで外に向けて出店することがあると、常にパンを出さないといけませんよね。そうなると作り手とホストを両方しないといけないんです。そうなるとイベント毎の達成感は勿論大きなものなんですけど、1回1回の疲労感も凄くて。

 

それに他にも「食」の分野で活動されている方で、一緒にお仕事をしてみたいと思っても、パンと合わないから出来ないことも出てくるんです。他にももっと面白いことをやられている人がいても、自分がパン屋をやっていることでそれが出来ないことが勿体ないと思ってね。それだったらippoというパン工房と、サロンのippo plusを両方やって、不定期で色んなイベントを企画すればいいと思ったんです。そうすれば私はippoの守屋ではあるけどパン工房の守屋ではないので、これまで出来なかったことも展開できるし、発想もどんどん広がるでしょ。

 

 

────── 色んな人を招いて、期間限定でこの教室が別の空間になるんですね。考えただけでもワクワクしてきます。

 

守屋:素敵なお店をされている方もたくさんいらっしゃるから、その方にこの場所を使って展示販売をしてもらったり、パン以外の色々な食に携わる方と一緒に何かをやってみたり。うちに通ってくださる生徒さんの中にも、ある食の分野にとても精通している方がいらっしゃってね。そんな方とも何か出来そうですよね。他にも私、寄席が好きなので落語会なんかもやってみたいです(笑) 普段ここに来てくださる方にとっても新鮮で、初めて来てくださる方にも楽しんでもらえる催し。こんなイメージだけでも持っていたら実現したりしそうでしょ?

 

 

────── 持ち前の行動力ですぐにでも実現してしまいそうですね(笑)

ではもういくつかおうかがいしたいのですが、例えば守屋さんが理想とする暮らしは?と聞かれると、先程こだわりというものが嫌いとおっしゃられていましたが、特別思い描いていたりはされないのですか?

 

守屋:どうかなぁ。多分ね、私ってみんなに前向きでポジティブっていう印象を与えていて、普段もきっと概ねそうなんだと思うけど、本当はポジティブとネガティブの狭間を綱渡りしてるような気がするかな。だから悪い風がフッと吹いたらすぐに落ち込んだりして、途中で少し悩むことがないんです。どちらかに振り切ってしまうんですよね。

 

 

────── 私も全く同じです。良い意味では分かりやすい性格なのかも知れませんが…

 

守屋:そんな感じがするね。周りの男性は大変なんじゃない(笑)?

でも…理想の暮らしねぇ。本当に小さいことで良いんです。例えば朝起きて日差しが美しいなぁとか、そんなことを死ぬまでにたくさん感じたい。きっと風景・シーンが好きなんですね。色々な風景に溶け込んでいる自分をちょっと引いて眺めてる、っていうシーンって言った方が良いかな。今はようやく、そんな理想と実際の暮らしがあまり解離しなくなってきましたね。

 

SATOE MORIYA|INTERVIEW vol.19

 

────── いいですね。理想と現実の暮らしが近いだなんて。では理想ついでにもう一つ。例えば守屋さんが一人であっても、誰かと一緒であっても、どのような食卓が理想ですか?

 

守屋:1人の場合はちょっと置いておいて。

これ、もしかすると少しズレてるかも知れないけど、例えば誰かとご飯を食べに行った時に無感想な人っていませんか?他の話題では話すけど、目の前にある食事が美味しいのか不味いのか、今こうしてるのが楽しいのかそうでないのかとかを。それで別れてからメールで「美味しかったねー!」って返事をくれる人とは、一緒に食事をするのが苦手です(笑) もうそれは表現方法だから別に悪いことでもないんですけど、私はどちらかと言うと「美味しい!」っていうのを分かち合いながら食べる方が好きかな。パーティーは苦手だけど宴会は好きっていう感じ。そこには絶対“食”があるし、それが美味しいものである方が良いと思うし。ここでも時々人が集まって、食を囲んでワイワイしながら楽しい時間を過ごしてるシーンを、ちょっと離れて眺めることが凄く好きなんです。やっぱりシーンを見たいんですね。

 

 

────── パーティーと宴会の違いですか。今すごくしっくりときました。

 

守屋:そういうシーンを思い描いていない限り、1人で食べていても味気ないです。きっと大好きなロケーションやイメージの中で、ここでお茶を飲みたいとか、自分で焼いたパンを食べたいとか、どこか客観的に見ている時が好きなんでしょうね。だから1人でちゃんと食事ができるタイプじゃないですね、誰かいてくれないと。

 

 

────── 私も1人だと苦手かも知れないです。何故か自分の為に作るのが面倒だったり、誰かと時々会話をしながら食べていないと、自分がお腹一杯になるまでのペースが分からないと言うか。

 

守屋:何か近いものがあるのかもね。それを聞いていて思ったのが、私は1人で食べ歩きもできないんです。人と会うのに食事が欠かせないかな。会う為に美味しいレストランを探したり。1人で食べるっていうシーンが自分の中にないんですよね。誰かと行けるならあっちこっち行きたいんですけどね、食いしん坊なので。

 

 

────── 食いしん坊?そうは見えませんね。スタイルも良いし、初めてお会いした時の立ち姿も実は印象的だったんです。猫背な私から見ると、姿勢が本当にキレイで。

 

守屋:姿勢…そういえば父にも言われたことがありましたね。かなり遡るんですけど、実はね、高校を卒業するまでずっとコンプレックスがあったんです。うちの両親は凄く子供思いで、お料理もいつもきちんと用意してくれて、夫婦仲が良くって、もう非の打ち所のない本当に良い両親だったんです。だから私…小さな悲劇が起こればいいのになぁ…って思ってましたね(笑) あまりにも温かな家庭だったので、グレる要素が何1つもないんですもん。

 

 

────── もう少し詳しく教えていただけますか(笑)?

 

SATOE MORIYA|INTERVIEW vol.19

 

守屋:高校の時は本当に悪いことばかり考えてましたね。でも心から反抗する理由もないので先生に「インテリ不良は一番やりにくい」って言われてました(笑)

 

 

────── 守屋さんのイメージが決定的に…でも良い意味で想像とは違っていたのが何故か嬉しいです(笑)

 

守屋:ごめんね(笑) でもそんな子でしたね。小さな不幸ないかなぁ…って。でも充分不幸だったんですけどね。病気して学校にもなかなかいけない時期もあったし。でも本当に温かい家庭でしたよ(笑)

高校の卒業式のエピソードなんですけど、私は相変わらず心では悪ぶってたから、どこか暮らしが荒れてるような、ジャニスジョップリンみたいな人に憧れててね。私立の学校だったし、みんな袴や着物で奇麗な格好して参加してるのに、私だけボロボロの服を着て行ったんです。

 

 

────── ご両親は反対されなかったんですか?

 

守屋:父がね、「タバコもいい、お酒もいい、でもその服だけはやめてくれ」って(笑) でも私はコレが良いって言い張って。式では舞台に上がって卒業証書をもらいますよね、その時の姿勢なんですけど、そんな汚い格好していた私が一番背筋がピンと伸びてキレイらしかったんです。

 

 

────── それって…全然悪ぶれてないし、育ちが良いのが一撃でバレてしまうじゃないですか(笑)

 

守屋:そうですよね(笑) 別にツンとしてる訳でもなく、挨拶も躾けられてるからきちんとお辞儀をして。式が終わった後、褒めるところがなかったせいかも知れないけど、服のことは一切言わないで「姿勢が良かった!」って父が感心してました。

 

 

────── 私も学生の時は、そんなふうに悪ぶってみたいなぁと考えることがありましたね。でも小心者なので、何でそれを表現するかと言えば奇抜なファッションであったり。なんだか懐かしいです。

 

守屋:こんなに温かな家庭で育てたのになんで?って、思ったでしょうね(笑)

 

 

────── 何故でしょうね。守屋さんとお話していると、私もまた頑張っていこう!っていう気分になってきました。暮らしをテーマに考える度に描く理想に悩まされることもありますが、こだわらないというこだわりを持つことが、理想と現実の暮らしが近くなる近道の一つなのかも知れませんね。

 

SATOE MORIYA|INTERVIEW vol.19

 

守屋:理想を描くと、内容によっては何かを我慢しないといけないこともありますよね。それに描いたものが壊れる瞬間もあるでしょ?そういうことを恐れて始めからあまり望まなかったり、そもそも理想自体を描かない人もいると思います。でも私はそれができないから、嬉しいことは100%喜んで、そうでないことは100%落ち込んだりしてね(笑) 始めから思いっきり期待しなければそこまで落ち込むこともないのに、もうこれは性格なのかタチなのか、やめられないんですよね。だって、そんな頭に描いたものや想像したものを超える時があるでしょ?私はその時の快感を忘れることができないんです。上がったり下がったりしながらも、まだまだこの好奇心はおさまりそうにないですね(笑)

 

 

 

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守屋 里依 | SATOE MORIYA

パン職人

 

<INFORMATION>

パン工房 穂 [ ippo ] | http://ippo-plus.net/

〒565-0874 大阪府吹田市古江台1-7-4

Tel / Fax 06-6832-8014

E-mail info@ippo-plus.net

編集後記

色々思いだした。

一番古い記憶は園児だったころ。仲良しの友達の家にお呼ばれして、オシャレなディナーを作ってくれたところまでは良かったけど、苦手なチーズがブロック状で登場したあの日。苦手だから食べないなんて、そんな小さな子供がするようなことだけはするものかと息を殺して食べた後、母に褒められたこと。

小学校2年生のころ、「好きな食べ物はなんです?」と聞かれ、クラスメイトのテンションも急上昇、前の席から順にみんな食い気味で「ハンバーグ!」「カレー!」と答える中、誰よりも冷静に「赤貝」と答え、教室の空気を一変させたあの学級会。実は赤貝の横に並んでいた、いつもの市場の「テナガダコの頭」とちょっと迷っていた。ビールと楽しむ父の横で、振って泡立てた麦茶と楽しんだ夜は夏の頃だったと思う。

パンよりご飯派、というよりおにぎり派だった頃のお気に入りにぎりは、鮭でもなく、たらこでもなく、和歌山生まれの父が大好きなべったら漬けを刻んだものが中にぎっしり詰まった俵型のおにぎり。
遠足のおにぎりだってもちろんコレをメインに入れてもらう。開けた時のあの香りが一瞬で私のぺったんこのお腹を刺激する一方、「?」といった表情で中身を覗く、シートに並んで一緒に食べる友達とはよく一緒に遊んだ。

今でもパン好きの母が時々買物途中に寄ったパン屋さんは、昔ながらのお肉屋さんのような、ショーケースが外にちょっとはみ出てるくらいの対面式のお店。「エスカルゴ」というパンの形が子供の私には可愛く見えて、よく買ってもらっては外からめくって、一緒に食べながら帰った。

昔は今みたいにいつまでも暑くなかった10月の、運動会前日か当日が誕生日だった私。友達を招いて賑やかだったお誕生日会は、大きなお皿に大量に盛りつけられたサンドイッチや唐揚げ、ビールのピッチャーくらいの大きなグラスにカラフルに注がれた大量のフルーツポンチを、私もみんなに取り分ける。自分で食べるより、みんながもりもり食べてるのを見てるのも好きだった。

大人になって連れて行ってもらった、まだまだドキドキする真夜中のバー。大好きな先輩に、「ピスタチオは殻ごと食べるものだ」と真顔で教えられ必死で噛み砕いたあの夜は、初めてカウンターで撃沈し終電を逃してしまった。

今、あの頃のピュアな可愛らしさは見る影もなく、たいして精神的に成長することもなく大人になり過ぎた今、ことあるごとに「呑みに行こう」が口癖になったのは悪い先輩方のせいかも知れないけど、食べることの周りにある誰かと誰かが作り出したある場面の断片は今でも色が付いていて、格別に旨い訳でもないのに何故かそこに帰りたくなる好きなお店には、自分もそのシーンの一部になりたくなるような居心地の良い空気が流れている。

「とりあえず一緒にメシ食うて酒呑まな仕事できんやろ」と、ちょっと乱暴なことを言う人も近くにいるけど、私もそんな気がする。

いつまでたっても自分一人の為にテーブルを美しくしたり、美味しいものを作ってきちんと料理するのは面倒この上なく、適当な一品と酒だけで満足してしまうけど、何故か食べた気がしなかったり、それが美味しいのかもいまいちピンとこないのは、大好きな人達と食べている場所に漂う空気も一緒に飲み込んでしまいたいからなんだと改めて感じた。
相手はたった一人でも誰かの為に作ることが好きなのも、食べることよりも前に、その人との時間を楽しみたいからなのかも知れない。

そんな私の場合、好きなシーンはどんなだろう。

浮かんでくるのは、まっすぐ立っているつもりだけどもう中腰になってる赤ら顔のお兄ちゃん。ちょっと絡みがちなおっちゃんや、黙々と静かにおかわりを頼むおじいちゃん。誰かの愚痴を言ってるお姉ちゃんや、カウンター越しでいつしか私のことを覚えてくれるマスター。随分前にお酒をやめたけど、酒のアテは今でもガンガンいく母を肴に呑む今夜の食卓も。

やっぱり酒臭いけど、誰かの至福もステキな隠し味。

きっと人が好きな人達なんだと思うから、
酒好きに育ててくれて、ありがとう。

by makiko ueno

Camera / toshinoriCawai

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