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小たに

UPDATE : 2013/May/03 | AUTHOR : makiko ueno

ガラクタを見つめる。- その向こうにあるまだ見ぬ景色 -
街歩きにお買い物、仕事や観光と、神戸を訪れる人でいつも賑わう三宮町1丁目から3丁目にかけてのセンター街。
町の小さな商店街とは風景の異なる、大型専門店や神戸ブランドの様々なショップが立ち並ぶ。

この商店街の2丁目辺り、海側の小さな路地を見つけ進んで行くと、先程までの景色とはまた違った、小さなセレクトショップや昔ながらの食事処などが混在する。今回ご紹介するのは、この何とも散策したくなる迷路のようなエリアに、2010年3月にオープンしたこちらの雑貨店。

見過ごしてしまいそうな小さな看板を見つけ2階を見上げると、お店の名前が書かれた小さな旗も揺れている。少し暗く、細い階段を上って行くと、灰色の壁に一際映える、白く可愛らしい扉が出迎えてくれた。大きな窓のある、店内も白で統一された空間には、小さなものから大きなものまで、鈍い光を放つ様々な雑貨や、植物なども飾られている。外の光が柔らかく広がる白い部屋は、大きな木の木陰にでも入り込んだような、自然の中にいる感覚にも似ていた。

 

小たに

 

その名の通りお店は、小谷姉妹が2人で営む。

 

ステーショナリーや服飾雑貨、作家もののアクセサリーなどのアイテムが並ぶが、その中でも存在感を放つのはアンティーク雑貨だろう。少し錆ついてしまったアルミやブリキ製品、小さなカケのある陶器、時間というベールを纏いくすんだ色をした紙ものなど。長い年月を経てきた雑貨の数々が、新しい場所で再び時を重ね始めたかのようにも見える。もともと長く雑貨店で勤めた経歴も持つ小谷氏。だがそこでは特にアンティーク品を扱っていた訳ではないのだという。

 

小たに

 

「昔から古いものが好きだった訳ではなかったんですが、朽ちて出てくる錆や、使うことで生まれる色の変化や歪み、傷のような、そんな素材が生み出す雰囲気が好きだったんです。毎年流行するものが変わっていって、消費されるものが多い中で、自分がお店をするならそれに流されないでやりたいことをする、自分にしか表現できない形にしたかったんです。だったら私達が好きな“素材感”にスポットを当ててみようと思って。」

 

主な買い付け先はドイツ・ベルギー・オランダ。初めての買い付けは手探りの状態だったのだとか。そんな状況の中でも1つ確実だったのが、何を選ぶのかということ。特別な理由がある訳ではなく、ただ単純に“もの”として惹かれる何かに吸い寄せられるような感覚なのだという。

 

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アルミやブリキ、鉄といった、一見硬く冷たいイメージを持つ、限りなく装飾を排した男性的とも言えるデザインのものも数多く並ぶが、1つ1つをじっと見つめていると、何とも言えず静かで柔らかな表情も併せ持つ。中でも印象的なのは、深みのある色に変化したドアノブや鍵、何かのパーツであっただろう鉄のプレートやキッチン周りの品々。一言で雑貨とまとめてしまうこともできるが、1つ1つに誰かの、そして自然が生み出した痕跡のようなものを感じさせられるような気がしてくる。

 

小谷氏が感じる、硬質なものが持つ魅力とは?

 

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「昔からいわゆる女の子らしいものが好きじゃなかったこともあるんですが。お店で扱うこういった古いものは日常使いだったものなので、すごく大切にされてきたかと言うと、そうではないんです。雑に扱われたり、外でほったらかしにされていたものだったりするんですが…それが良いんですかね?どうしてこういうものに魅力を感じるようになったか、そのルーツのようなものは未だに自分でも分からないんです。」

 

小谷氏はこれらを“ガラクタ”と呼ぶ。海を越え見知らぬ土地で埋もれるガラクタ。それはもう使い道のない雑多なものかも知れないが、そのものが持つ個性の美しさ、面白さを感じることを大切にしたい、とも語る。

 

小たに

 

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店内を一通り物色する。

 

しばらくして角度を変え、もう一度眺めてみると、先程までとは少し違った景色に見えた。何故だろうと不思議に思いながら、また少し角度を変えてみる。それは天井からモビールのように飾られた何かの部品や使い込まれた調理器具など、それがどのように使われていた何なのかさえ分からないものなど、そんな品々が生み出す雰囲気も勿論のことだが、各所に大胆にも添えられた植物の枯れ枝や乾いた葉や花なども、独特の空間作りにはなくてはならないもの、そんなふうにも感じられた。

 

それは小谷氏が見つめていきたい個性であり、少しでも長く使い続けたいと感じる“ガラクタ”選びに共通する思いでもある。枯れた姿の美しさ、形を失う最後の最後まで、そのものが移り変わっていく表情に寄り添いたい、そんなメッセージがじんわりと染み込んでくるようだ。

 

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手にした何かを不思議そうに眺める人、「可愛い」と笑みがこぼれる人、上から斜めからとクルクル回して観察する人。訪れる人達は数ある異国の雑貨に思いを馳せる。そしてそんな掘り出しもの中からコレが欲しいと思った瞬間、『でもどうやって使えばいいのか?』そんな小さな疑問を持つ人も多いのだとか。

 

しかし、もとあった用途のまま再び使うことは勿論、また別の使い道を考え、楽しみも一緒に持ち帰ることもできるのだと思うと、掘り出しものを見つけた時のワクワク感をそれだけ長く持続させることができる。これから生活を共にする“ガラクタ”、愛着もどんどん湧いてきそうだ。

 

またこれらの商品の数々が経てきた歴史や背景といったものについて、とりたてて興味を持っていないと語る小谷氏も印象に残る。

 

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「歴史的に意味深いとか、希少価値があるとか、ものを選ぶ時にそういう理屈はないんです。量産されたものも好きだし、ただそれが面白いか面白くないか、先入観に捉われずに全て同じ目線で好きかどうか、それだけで選んでるんです。」

 

どのような暮らしだったのか、それぞれの人が無意識の中に何かを感じてしまう遠い国のガラクタ。またその他、“自分が身に着けたいもの”をコンセプトに展開する、国内のアーティスト・作家の作品も見逃せない。

 

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まずアクセサリーからは、真鍮を主素材に用いた、手作りならではのフォルムと質感が魅力の「Maillet(マイレ)」や、フェミニンなデザインに思わず釘付けになってしまう、こちらもハンドメイドの「YachiNachi(ヤチナチ)」。

 

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服飾小物からは、イタリアの古いリネン生地を使い、ひと針ひと針手縫いで仕上げられた「Arinco」のバッグや、草木染めの自然な風合いがやさしい「hatahumi」の手紬・手織りのストールなど。どれも静かだけど、豊かな風合いを持つここだけの品々。使うごとに出てくる味わいを知ってしまうと、もう手放せなくなってしまいそうだ。

 

小たに

 

その他お店では、イベント・企画展なども不定期で開催されている。

 

4月には、今年3月で丸3周年を迎えるにあたり企画された「人形劇」も多くの反響を呼んだ。台本となったのは、1964年アメリカで出版されたShel Silverstein(シェル シルヴァスタイン)作の「The Giving Tree」(邦題「大きな木」)。ただ人形劇の面白さを表現するだけではなく、あやつり人形や舞台・小道具まで全て手作りで、その手作りしたものを観ることによって得られる感動や驚きを届けたいと、アコースティック演奏を交えて開催された。

 

制作にあたったのは小谷氏をはじめ、そんな思いに共感した友人や近隣でお店を営む店主など様々。作家の力で人を呼ぶ展覧会のようなイベントではなく、何もないゼロの状態から作り上げた店独自のものを見て欲しい、そして見る人が何を感じたのかを知りたいのだとも語る。

 

 

今後の展開については、これまでお店で開催されたイベント等の枠を超え、ギャラリーや他のショップなどに場所を移し、表現の場を広げていく予定とのこと。

 

小たに

 

「古いものに触れたり、植物の移り変わる姿を見ていく中で、自分の中でも少しずつ変化していくものがあるんです。そんな中で、ただお店をやるだけじゃなくて、自分達で何かを作り上げたり、色々なことに挑戦をして、普通の古道具屋さんや雑貨屋さんじゃない切り口で発信していきたいと思うようになってきたんです。

 

自分達がどこまでやれるか、表現できるかを力試ししている部分もあるんですけどね。勿論、私達が好きなものだけしか扱わない、そこは絶対にブレないようにしながら。」

 

小たに

 

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information

小たに | http://www.kotani-jp.net/

 

兵庫県神戸市三宮町2-8-6 石田南ビル2F

TEL:078-391-0828

OPEN:12:00 ~ 20:00

定休日:不定休

編集後記

一般的に今流行とされるものに特別な興味を持つことが少なく、おまけに好きなものや分野についてもこだわり…実のところ偏りがある為、比較しづらい部分はあるだろうけれど、私に関して言うと、知りたくなるたちだと思う。それが誰の手によるものなのか、どのような思いで生まれたのか、とりわけ古いものについてはその歴史が気になって仕方がない方だ。そしてその情報を集めてはどんどん掘り下げていく。そうして知らなかった何かを見つけた時、何とも言えない満足感が生まれたりもする。何故知りたいかと尋ねられるとすれば間違いなくこう答える「好きだから」と。

使い手がいなくなったもの、現在では使い道を失ったもの、傷つき汚れ捨てられたもの、そんなガラクタと呼ばれるものが持つ表情は、場所と時間を越えて更に変化していく。

長年大切にされてきたものもあれば、日常的に雑に扱われ、最後には簡単に手放されたものもあるだろう。しかしそれらは確かに誰かの手が触れ、特別意識することもなく毎日の生活の中にごく当たり前のようにあったものでもある。人の手、生活、時間が刻み込んだ傷や歪みは、そのものの素材感が持つ個性であり、この一瞬一瞬にも少しずつ形を変えていく。

何かに惑わされることなく、ただ純粋にものを見つめ、今ある姿と向かい合い、その個性の美しさを感じること。何も余計なことを考えずに、情報に飲み込まれずに、素直に感じればいい。簡単なようで、誰もが忘れがちなのかも知れない。ここから始まる変化、これから見せる新しい景色。

“ガラクタ”と呼ぶには、あまりにも美しい。

by makiko ueno

Camera / toshinori cawai

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